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ハードディスクが大容量化するとともにデータ復旧の需要も増えている様子。普段のバックアップである程度カバーできるとはいえ不測の事態というものはいつでもおこりうるわけで。 そんな時にお世話になるのがデータ復旧サービス。精密機器だから復旧率は低いかと思いきや現在ではかなり高い様子。まさに最後の頼みの綱といえる。
4時間にわたって放送されたTBS系スペシャルドラマ「3年B組金八先生・ファイナル」(27日午後7時)は、“卒業生”総勢151人が出演。平均視聴率19・7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。瞬間最高は、定年退職した武田鉄矢(61)演じる金八先生が“最後のお説教”を終え、歴代の最終回シーンが流れる場面の27・6%(午後11時1分と2分)で、今は亡きあの教え子も大写しになっていた。
ファイナルの不良役・景浦裕也を演じたHey! Say! JUMPの岡本圭人(17)の父親は、同じジャニーズ事務所所属の元男闘呼組、岡本健一(41)。ほぼ2世代にわたる出演者陣が勢ぞろいした特番。中でも異彩を放っていたのは、1979年スタートの全8シリーズ中、第2シリーズの出演者(直江喜一、川上麻衣子、ひかる一平、伊藤つかさ)だろう。
逮捕者も出た校内暴力に金八先生が真正面から向かい、「腐ったみかんじゃない」の名セリフを生んだ。
当時の不良役だった直江は今回も卒業生として出演。しかし、直江と共演したもう一人の不良役は居なかった。金八先生は「ここに来られなかった生徒もいます…」と絶句して、演技か本気か区別がつかないほど涙を流した。
「あれは、自殺した沖田浩之さんのことを思い浮かべていたんでしょう」と話すのはプロダクション関係者。
80年に登場した沖田さんは、ジャニーズ系とは異なる竹の子族出身の不良っぽいアイドルとして人気を集め、「E気持ち」で歌手デビューも果たした。30代になってからは悪役も演じるなど俳優として幅を広げたが、99年自宅で首つり自殺。36歳の若さだった。
「家業の借金苦や仕事量が減ったことなどがささやかれましたが、原因は不明。周囲は『何で相談してくれなかったのか』と強いショックを受けました」(当時を知る芸能リポーター)
放送された3月27日は奇しくも沖田さんの命日。なんとも無念だ。
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東日本大地震はライブ会場にも大きな爪跡を残した。仙台を中心に東北のホールは壊滅状態だという。
大きく揺れた首都圏では、ベルリンフィルなど世界的なオーケストラも演奏する「ミューザ川崎シンフォニーホール」で天井が無残に崩落。半年程度は使えないようだ。
イベント、ライブ、落語会の延期、中止も相次いでいる。
そんな中、安全性に問題がなかった東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで米歌姫シンディー・ローパーが東京公演(16〜18日)を決行。初日を観た。
渋谷駅から東急本店へ向かう道が薄暗い。ヤマダ電機に並んだテレビは電源を落とし、「電池、カセットコンロは売り切れました」の貼り紙。ドン・キホーテのネオンも消えていた。
漂う不安をシンディー姐は歌で吹き飛ばした。
大人っぽい最新アルバム「メンフィス・ブルース」の新曲に加え、「シー・バップ」「グーニーズはグッドイナフ」「タイム・アフター・タイム」といったヒットナンバーを目いっぱいのボリュームで歌いあげる。
セットは電飾などなくシンプル。照明は終始ムーディーな暗さ。かえってシンディーの気力が際立った。
客席中央に何度も降りてきては、ハグしながら「がんばって」「元気ですか?」と日本語まじりで声をかける。アンコールの「トゥルー・カラーズ」の前にこう言った。
「日本人はストロング・ピープルだから、この悲劇も必ず乗り越えられる。元気を出そうよ」
歌の最後は、シンディーの合図とともに「♪リメンバー・パワー。リメンバー・パワー。パワー・トゥ・ザ・ピープル」の大合唱で幕。どこからともなく女性ファンが「ありがとう! シンディー!」と声をあげた。
節電なのに…という意見もあるだろう。でも在日外国人が続々と離日するなか、震災当日に成田に降りられず横田基地を経て来日したシンディー。余震の揺れや原発事故をものともせず、公演を実現した心意気には拍手をおくりたい。
帰りのロビー。シンディーが呼びかけた義援金の箱をのぞくと、お札ばかりだった。
■中本裕己 夕刊フジ芸能デスク。昨年の“目劇”数はコンサート110本、映画33本、落語会12本、舞台11本。まだまだ修業が足りない。
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